FC2ブログ

間違っている

11« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»01

このページの記事一覧

» スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

カテゴリ: スポンサー広告

[edit]

TB: --  *  CM: --

top △

» 死を決めるのは誰か 


これから東京や大阪、全国各地で湯川遙菜氏・後藤健二氏の追悼集会が行われるという。

ちょっと待ってほしい。二人は死んだのか?

確かに、イスラム国と名乗るネット上の何者かによって、斬首された遺体を写したと思われる画像が、湯川氏・後藤氏それぞれについてアップロードされた。

しかし誰もその遺体を確認していない、実体の「イスラム国のメンバー」に直接あたって確認した者もいない。

―本当に、二人は死んだのか?

「死んだに決まっているじゃないか。首が切り離された遺体の画像が出たんだぞ」

―それが真実その人の遺体だと断定する理由は?

「複数の政府機関が、動画の信憑性が高いと言っている」

―それはつまり、結局その遺体を誰も直接確認していないという事だ。

もちろん、殺害された「蓋然性」は高い。
両氏は長らく(依然として)行方不明である事は明らかだし、
<「イスラム国」と名乗るネット上の何者か>が本当にイスラム国という政治主体なら、
殺害せずにおく理由はないだろう。

しかし、私は問いたい。
そもそも、ある人が死んだか死んでいないかを決めるのは誰なのか?

政府が決めていいのか?
マスコミが決めていいのか?
私たち傍観者(非当事者、第三者)が決めていいのか?

私はそれは断固としてノーだと思う。
一人の人間の死は、第三者が決定権を持つべきものではない。
いわんや、「第三者のみが寄り集まって同調し、死を既定事項にする」などは、
第三者の「おごり」以外の何ものでもない。

ある人が死んだか死んでいないかということは
(特に、遺体などのはっきりとしたしるしがない場合なら)
残された近しい人が決めるべき問題ではないのか?

戦時中、出征した家族の帰りを待つ家に戦死が報され、
木でできた箱が届いて、遺骨が入っているのかと思い中をあけてみたら
「石」が入っているだけだったという話がある。

第三者が「死を決める」というのは、こういう事だ。

この「石」は今、件の動画、政府首脳・高官の発表、ネット上に氾濫する追悼の言葉になっている。
その「有無を言わさぬ決定」というものが、どれだけ人間を馬鹿にし、軽んじ、
その人自身をその人自身でないものに従属させてしまうのかという事を
もう一度よく考えた方がいい。

ゆえに、私は、両氏が死んだとは言わない。「分からない」と言う。
論理的にも倫理的にも、それ以上の事は言えない。

だから、私は、追悼しない。

スポンサーサイト

カテゴリ: 未分類

[edit]

TB: 0  *  CM: 0

top △

コメント

コメントの投稿

Secret

top △

トラックバック

トラックバックURL
→http://remembermeltdown.blog.fc2.com/tb.php/77-f6f56b56
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

top △

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。