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先日大阪で、香港のDIYライブハウスHidden Agendaを撮った映画
"HIDDEN AGENDA The Movie"を観てきた。

HiddenAgenda Osaka


予告編



大阪上映会の告知
http://fugashi.org/?p=105

自分は松本哉氏のブログでこの映画を知った。
氏によれば、このライブハウスは香港のアンダーグラウンド音楽シーンの最重要拠点だという。

土地代の高い香港では、メジャーなライブハウス以外で、
自分達で勝手に作り上げたような場所で
音楽をやれるところというのは、大変に限られているらしい。
そんな中でこの Hidden Agenda は
何回かの引っ越しの後、工業区域の建物を借りて改装することで
インディーズ・ミュージシャンたちの演奏の場を作ってきていた。

が、工業区域で娯楽行為をすることは法令に反するとの理由で
Hidden Agendaは行政に立ち退きを要求され
警察官が様々の理由をつけてたびたび立ち入る、という事態に遭ってしまう。

本映画は、Hidden Agendaが
自分達の手で場所を作り上げる過程を示しながら
その事態に対する抗議と意志を表明した映画だ。

映画の作製者は Hidden Agenda自身で、
フィルムには
ライブハウスを自分達の手で作り、日々保守・調整する姿、立ち退きをせまる行政に対する抗議デモ、
そして遂に引っ越しを行うことになり、そのカンパを募集するライブ・パーティーを開催するまでの過程が収められている。


上映会のアフタートークでは
クラブ弾圧とそれに対する法改正運動などの話があり興味深かったが、
多分この映画の本質は、

夜ごとの夢を、誰と一緒に、どう見るか、その時間は誰のものなのか

という問いかけだ。
法の事は二次的な事だ。

映画の最後での、行政が再開発計画の一環としてHidden Agendaにアート枠での参加を要請し、
Hidden Agendaはそれを拒否した、
という所について、アフタートークで疑問の声があった。

私はこういった場所作りをしたこともなければ
行政や公権力とこのように組み合ったこともないので
Hidden Agendaや、他の多くの独立運営の場所が、それにどう応答すべきかについて
一般的な答えを持たない。

しかし、考えなければならないのは、
「自分達の手でやりたい音楽と場所を作り上げている人間たちと
法や行政とで、どちらに『実』があるのか」という事だ。

今回クラブ弾圧の話も聞いていて思った事だが、
明らかに法・行政の側には「実」はない。

なぜ工業エリアでライブハウスをやってはいけないのか、
なぜ今の時期に突然、風営法のダンス規制の適用を厳格化する必要があるのか、

誰も答えられない。恐らく行政の人間でさえそうなのだ。

Hidden Agendaの人が、立ち退き請求を提示する当局の人にこう聞く。
「工業エリアでは物を生産しない者は立ち退かなくてはいけないというが
我々は音楽を生産している。それではダメなのか」
「娯楽行為と言うがその定義は何なのか」
明確な答えは返ってこない。

このやりとりにこう思う人もあるかも知れない。
「それは屁理屈だ。法に書かれていることに抵触すると判断された以上、それはしてはいけないのだ」と。
しかし、そもそもを考えて欲しい。
そもそもなぜ、「音楽をしてはいけない場所がある」のか?
なぜ、「それに従わなければならない」のか?
なぜ、「(従わずに)その法律の変更を考える」事が発想されないのか?


風営法のダンス規制については、もっと不可思議だ。
夜、定時刻以降は、店の経営者は客にダンスを踊らせてはいけない。
これは数十年前にできた法律の条文だ。
しかしこの半ば実効性を失っていた条文を根拠に、なぜ今クラブの大量摘発が起こっているのか。
アフタートークで登場した、この問題の当事者である金光正年氏は、
なぜなのか、はっきりとした事は分からない、という旨の発言をされていた。

「踊らせる」という事の意味も状況も全く変わっている現在、
数十年前の条文を守る意義も、
それを根拠にクラブの規制・大量摘発が起こる理由も、
誰も分からない。

法律は意志を持たない。行政は「なぜ」に答えない。
なぜなら法律は規則・文字に過ぎず
行政はその「遂行」を主目的とする装置に過ぎないからだ。

「水槽のポンプ」の設計図じたいに意志はなく
水を濾過するポンプに意志や疑問など無いのと同様のことだ。

それが法であり行政なのだ。


問題は、そんな「実」のないオバケにあなたは付き合うんですか、という話だ。


Hidden Agendaの映画に写し出されるのは
抗議やデモだけではない。
多くのミュージシャンと、夜ごとのライブと、そこに集まる人々の
踊り、騒ぎ、熱狂し、あるいは出会い、あるいは酔い、あるいは語り合い、
あるいは陶然と夢を見る、
その時間。その空気。
そしてその場所を続けていく、日々の営みと意志。

はしゃぎ浮かれ騒ぐことがそんなに大事かと、問うひとには
こう問いたい。
あなたは人と出会った場所・語り合った場所・一緒に夢を見た場所を、
いとしいと思ったことはないのですかと。
騒ぐことは本質ではない。
人と居る歓び、「そこ」にいる楽しさ。
それを全く感じたことがない人はいないはずだ。
これこそが私たちにとっての「実」ではないのか。


映画のエンドロールには、
香港の朝焼けとおもわれる
うすく、日の光を浴びて光るビル群の映像が写し出される。
路上にはまだ、朝が来たことを知らぬ街路灯が瞬いている。

興奮と疲労と満足と、きのうの夢は、朝日の中で溶けていくだろう。
そこにいたる一瞬の時間、その時間の夢を誰かと共有すること。
この時間は誰の物なのか。
それはまったく、奪われがたい、私たちの時間なのである。



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