間違っている

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» 雨に濡れても 



去年の原発事故直後、この曲を聴いた。

父がSNS上の知人と連絡を取り合い、その知人が
「今関東には放射能が降り注いでいるのかもしれないけれど、
惰弱(だじゃく)な自分は、この曲を聴きながら、今日も仕事に行こうと思う」
と書いていたのを、たまたま横から読んだのである。

以来、この曲ほど、発災後の日本にいて
両義的に聞こえる曲もない。

"Raindrops are falling on my head
降りしきる雨が僕を濡らす

and just like the guy whose feet are too big for his bed,
小さな寝床で足がはみ出るように

nothing seems to fit
何もかもしっくりしない

those raindrops are falling on my head, they keep falling
頭から僕を濡らす雨はまだ降り続いている"


放射能禍は続いている。
原子炉が壊れ、核燃料と核分裂生成物は外界に放たれた。
いまそれらを覆い、人界から隔離するものは何もない。
降り注いだ放射能(放射性物質)は、広域に遍在/偏在し
ガイガーカウンターを持つ事は当たり前になった。
それは目に見えない形でひとびとの生活と精神を脅かし続けている。

そして「それ」はまさに雨と風と水の流れによって運ばれ、濃縮されてきたのである。

デモプラカード "I hate rain"

この一連の事実は、一定数の人々を打ちのめしてしまっている。

私自身、ジェロニモレーベルのこのフレーズを何度聞き返したか知れない。

もう、俺らは心の底から笑えない
放射能ばらまいた国で

底の抜けてしまったこの国 放射能海に山にだだ漏れ

もう忘れたい 全部なかったことにしたい

ジェロニモレーベル 「ナメられてるにもほどがある」


昨年の9月11日に、漫画家のこうの史代氏は
岩波書店の「3.11を心に刻んで」という企画に、ひどく示唆的な文章を寄せた。


だんだん暗くなってゆくけれど、怖くはないからね、安心してまっすぐ歩いて行くんだよ。
やがてお花畑にきたら、そこでお休み。みんな一緒になかよく遊ぶんだよ……
(草野榮應『やさしい言葉』沙羅の集)

 これはある和尚さんの言葉です。彼は、幼い息子を病気で失わねばなりませんでした。その息子の臨終の時、こう言い聞かせたのでした。
 この世に居る人は、誰も死んだ事がありません。だから、死への旅路が暗いかどうかも、抜けたところにお花畑があるかどうかも、誰も知りません。しかし、父がそう信じているという事を、息子は知ったでしょう。そして同じ世界を心に抱いて、別れたのでしょう。
 わたし達は、どんな世界を想像する事も信じる事も自由です。また、それを誰かと共有する事も自由です。そして、誰かと共有する時、それは、ひとりで勝手に忘れ去ってもいい幻ではなくなるのです。
 逆に、わたし達は現実にあった何かを語らない事も自由です。
 この言葉の何より尊いところは、穏やかであるところだと思います。子を不安にさせぬよう、父は近づく別れに涙を落としたりわなないたりすまいとした筈です。それはこの文章にも、どこにも表現されていません。それでも、その秘めた愛と強さに心を打たれるのです。

岩波書店編集部 「3.11を心に刻んで」


「夕凪の街 桜の国」で原爆投下10年後、40数年後の広島被爆者の命とその家族のありようを描き
「この世界の片隅に」で戦時中の(しかし私達と変わらぬ)暮らしを、寄り添うようにして描ききったこうの史代氏の、静謐かつ凄絶な文章である。

絶望はときに静かで安らかな風貌をもっている。

"Raindrops keep falling on my head
降りしきる雨が僕を濡らす

But that doesn't mean my eyes will soon be turnin' red
でもそれで泣きはらしたりはしない

Crying's not for me
泣いたって何にもならないし

'Cause I'm never gonna stop the rain by complaining
こぼしたって雨は止まないから

Because I'm free
僕は自由だし

Nothing's worryin' me
不安なことは何もない"


こうの氏の文章を読んで、ふとある考えが浮かんできた。
―震災後この国を覆う気分が「私達を静かに死なせてくれ」というものであったとしたら?

―放射能汚染について、見て見ぬふりが起こること
―隠蔽が起こること
―「風評被害が」と言う一方で食品検査が行われないという矛盾が起こること
―放射性物質の封じ込めが発想されず、むしろ拡散が奨励されること
―騒動・デモが死者への冒涜であるようにみなされ「不謹慎」の烙印を押されること

震災後、まるで狂気だと思い反発してきた
これらのことがらが、狂気でもなんでもなく
正気の人々が意識下で、切実に、緩慢で穏やかな死を願っていることの現われだとしたら?

それは純然たる悲しみであり、
親が死に行く子に言い聞かせる物語のように、
絶望の末、程なくおとずれる死の前にしばしの安寧を求める、おかすべからざる願いなのかもしれない。

震災・原発事故以降、我々の目の前には原発と放射能という壁が露わになり
多くの人々が、今もこれに立ち向かっている。
しかしこの「絶望の穏やかな風貌」に抗するすべを、我々は未だに知らないのではないか?

それは、あるとすれば
安寧な静けさとそれへの切望を、踏みにじるものでなければならない。
あらゆる生き汚さをしめすものでなければならない。

私は、山下陽光氏の一連の広島調査の「アトム書房」探訪は
その可能性を探る試みなのではないかと、勝手に思っている。






原爆投下後1年が経つか経たないかのうちに、
廃墟となった産業奨励館(現・原爆ドーム)前に出現した「アトム書房」。
店主はスギモトユタカ24歳。
資料は(日々発見があるものの当初は)数片の写真、外国の手記・新聞記事などを残すのみ。
古書店ないし土産物屋を営んでいたらしいこと、
広島を地獄と化した「原子力」の語を店名に冠するセンス、
爆心地に店を速攻で出してしまうテンションの高さ
以外はいっさいが謎に包まれている。

山下氏は、アトム書房と戦前の広島アートシーンの中心人物・山路商(山下氏いわく「戦前の広島の素人の乱」)との間につながりを見出そうとしているらしい。





キーワードはおそらく「ゲスさ」と「繋がり」だ。
生き汚くあること、追い込まれた状況に「ふざけんな」と言い続ける事、
そして時間と空間に隔てられ消し去られようとしている多くの「あなた」を発見すること。

山下氏と調査を続けるだだお氏のツイート。

調査は現在進行形で進んでおり、
山下氏のトーク、ツイッター(山下氏だだお氏) 、関連資料サイトで随時最新の情報が発信されている。
ネットでは書けない情報もあるとの事なので、本丸は氏のトークということになりそうだ。
2012/6/23のワタリウム美術館でのトークイベントについての、山下氏のツイート

スギモトユタカという忘れられた親友をたずね歩く姿に、
私達はいつしか聞き手という役を忘れ、猿楽町を、産業奨励館前をさまよい歩き、
それぞれのエピソードによって爆心地と人々の思い出を復元していくことになるだろう。


さて結局「雨に濡れても」をあなたはどちらと感じただろうか。

"Because I'm free
僕は自由だし

Nothing's worryin' me
不安なことは何もない"


"It won't be long 'till happiness steps up to greet me
もうすぐ幸せが僕に会いに来るはず"


安らかな諦めがもたらす明朗さか、「コノヤロー」を言い続ける生き汚さか。
いずれにしても、雨は降り続ける。

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カテゴリ: 原発事故関連

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【2012/11/14 09:55】 *edit*

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