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» 死を決めるのは誰か 


これから東京や大阪、全国各地で湯川遙菜氏・後藤健二氏の追悼集会が行われるという。

ちょっと待ってほしい。二人は死んだのか?

確かに、イスラム国と名乗るネット上の何者かによって、斬首された遺体を写したと思われる画像が、湯川氏・後藤氏それぞれについてアップロードされた。

しかし誰もその遺体を確認していない、実体の「イスラム国のメンバー」に直接あたって確認した者もいない。

―本当に、二人は死んだのか?

「死んだに決まっているじゃないか。首が切り離された遺体の画像が出たんだぞ」

―それが真実その人の遺体だと断定する理由は?

「複数の政府機関が、動画の信憑性が高いと言っている」

―それはつまり、結局その遺体を誰も直接確認していないという事だ。

もちろん、殺害された「蓋然性」は高い。
両氏は長らく(依然として)行方不明である事は明らかだし、
<「イスラム国」と名乗るネット上の何者か>が本当にイスラム国という政治主体なら、
殺害せずにおく理由はないだろう。

しかし、私は問いたい。
そもそも、ある人が死んだか死んでいないかを決めるのは誰なのか?

政府が決めていいのか?
マスコミが決めていいのか?
私たち傍観者(非当事者、第三者)が決めていいのか?

私はそれは断固としてノーだと思う。
一人の人間の死は、第三者が決定権を持つべきものではない。
いわんや、「第三者のみが寄り集まって同調し、死を既定事項にする」などは、
第三者の「おごり」以外の何ものでもない。

ある人が死んだか死んでいないかということは
(特に、遺体などのはっきりとしたしるしがない場合なら)
残された近しい人が決めるべき問題ではないのか?

戦時中、出征した家族の帰りを待つ家に戦死が報され、
木でできた箱が届いて、遺骨が入っているのかと思い中をあけてみたら
「石」が入っているだけだったという話がある。

第三者が「死を決める」というのは、こういう事だ。

この「石」は今、件の動画、政府首脳・高官の発表、ネット上に氾濫する追悼の言葉になっている。
その「有無を言わさぬ決定」というものが、どれだけ人間を馬鹿にし、軽んじ、
その人自身をその人自身でないものに従属させてしまうのかという事を
もう一度よく考えた方がいい。

ゆえに、私は、両氏が死んだとは言わない。「分からない」と言う。
論理的にも倫理的にも、それ以上の事は言えない。

だから、私は、追悼しない。

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» 被曝社会研究会レジュメ 

第3回被曝社会研究会レジュメ
2013.6.29


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「原子力都市における情報管理は、嘘と秘密を全域的・恒常的に利用する。嘘と秘密の大規模な利用は、人間と世界との関係そのものに作用し、感受性の衰弱=無関心を蔓延させる。原子力都市においては、世界に対する関心は抑制され、無関心が美徳となる。能動的な態度は忌避され、受動的な態度が道徳となる。巨大なindifference(非差異=無関心)が都市の新しい規則となるのだ」―矢部史郎『原子力都市』
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「インディファレンスというのは、『非―差異』とか『無関心』と訳されますが、これは『三・一二』の事件が起きるずっと以前からそうだったし、『三・一二』事件の後も、この期に及んでというか、だからこそというか、いままさに『無関心の規則』が前景化している」
―矢部史郎『3・12の思想』
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「少なくとも私は 黙らされる主体のありようを問うより、そうした機制を考え反撃することに関心があります。」
―松本 麻里 
(被曝者の語りについて。語りの先取りをする事でリスクコミュニケーションに回収しようとする放射線医学やエートスの「機制」を指摘して)
http://www.facebook.com/shirou.yabu/posts/465839613497623?comment_id=2984460&offset=0&total_comments=19
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1.目的
福島第一原発事故以降、放射能と被曝の問題について人々は黙らされている。黙らされる様態は多様であって、それは必ずしも「黙らせている」下手人を問えるものばかりではない。それは「世間の空気」であったり、被曝したことを認めたくない個々人の恐怖心であったり、『原子力都市』『3・12の思想』で矢部史郎氏が指摘したインディファレンスの問題のように、問題化する視点そのものの欠如であったりする。
一方で、下手人をはっきりと問える、明確な意図をもった(主に情報の)管理統制も明らかに存在し、このために黙らされている人の数は決して少なくない(SPEEDIをはじめとした文科省の一連の隠蔽工作、農水省の食べて応援キャンペーン、瓦礫報道におけるマスメディアの防護派バッシングなど)。これらについては、整理・問題化・公的告発が特に急務である。
いずれにしろ、「黙らせる機制」は多岐にわたっており、整理して批判する必要がある。
『3・12の思想』は、「黙らせる社会」に見切りをつけて動き出した人々(避難者、主婦、計測運動)を新しい主体・社会変動の最前線として提示したが、黙らせる社会・黙らせる機制についても、返す刀で、批判する必要があるのではないか。

このレジュメでは
何によって(誰によって・どのように)黙らされているのか/問題が不可視化されているのか
を具体的事例から例証することを目的とする。


2.例証

何によって(誰によって・どのように)黙らされているのか/問題が不可視化されているのか

a. 情報統制、隠蔽(政府・研究者)、計測への圧力(政府)
b. 嘘(政府・マスメディア・研究者)
c. 常識の書き換え、基準値のインフレ、論理の転倒、語意の改変、放射能に「安全」の枕詞(政府、マスメディア)
d. 二重思考の強要(マスメディア・社会)
e. 視点の隠蔽(政府・マスメディア)、インディファレンス(社会、個人)
f. 選択肢の設定/選択させる事 による「前提条件」の隠蔽(社会・言論)
g. 対抗勢力を非倫理的と断じるプロパガンダ、バッシング(マスメディア・言論)

h. 被曝した事実を認められない心性(個人)
i. 公的医療・福祉制度が被曝健康被害を否認すること(社会が前提とするはずの人権概念の崩壊) への恐怖 (個人・社会)…「受忍・否認・錯覚」(『被曝社会年報』)
j. 責任追及への等閑視・保留(言論)


a. 情報統制、隠蔽(政府・研究者)、公表の意図的遅延(政府・メディア)、計測への圧力(政府)
・ 1~3号機メルトダウンの隠蔽(官邸)、中村審議官更迭(官邸)
・ 4号機燃料プールメルトダウン時の汚染範囲試算の隠蔽(官邸/菅直人)
・ 4号機爆発映像の隠蔽(政府、マスメディア)
・ SPEEDIデータの隠蔽(官邸/文科省/経産省)
・ 研究者への測定自粛要請(文科省、気象学会)
・ 福島県内ダストサンプリングの中止要請(2011年3月15日、文科省)
・ モニタリングポスト隠蔽(2011年3月~、宮城県)(未詳)
・ 福島県大熊中学校での可搬型モニタリングデータの事後消去(2011年9月、福島県)
・ 気象庁気象研究所の放射能測定予算(「放射能調査研究費」)の差し止め(2011年3月末、文科省・財務省)
・ 気象研・青山道夫氏の海洋汚染調査論文掲載(ネイチャー)の差し止め(2011年4月、文科省)
・ 海外から支援物資として送られてきた線量計の未配布・足止め疑惑(2011年3月~外務省・原子力安全保安院)(2011年6月時点)
・ ホールボディカウンター検査拒否(放射線医学研究所ほか、2011年3月~)
・ 食品の放射能検査について、スーパーや食品メーカー、外食産業などの業界団体(270団体)に対し、国の基準を守るよう求める通知(2012年4月21日、農水省)
・ 原作業員の被曝治療用の幹細胞保存を拒否(2011年3月~、原子力安全委員会)
・ 福島県知事、政府からの40万人避難案を拒否(2011年3月15~16日、福島県知事)
http://enenews.com/japan-professor-leaders-of-fukushima-city-refused-to-evacuate-population-of-400000-after-being-asked-by-govt-media-didnt-report-this-thinking-it-would-cause-panic(未詳)
・ 政府の原発事故対策本部での議事録不作成(2011年3月11日~、政府・原子力災害対策本部)
・ 1号機爆発の報道遅延(2011年3月12日)

・ 1号機爆発の報道遅延(2011年3月12日)テレビ報道における「メルトダウン」の語の使用の急減(2011年3月12日午後以降、語の使用数が激減)
・ 新聞によるヨウ素剤服用のネガティブキャンペーン(2011年3月19日朝日新聞「被曝、心配しすぎに注意 不要な検査や服薬で副作用」)

(赤字は引用者による)


b.嘘(政府・マスメディア・研究者)
・ 柏市などがホットスポットであることをデマと断定する虚偽報道(平成23年5月16日朝刊、読売新聞「チェーンメールで放射線のデマ拡大」)
・ 「爆破弁」(2011年3月12日16時52分のNHKによる1号機爆発報道後、解説者として関村直人)(2011年3月12日16時50分の日本テレビによる1号機爆発報道後、解説者として有冨正憲)

c.常識の書き換え、基準値のインフレ、論理の転倒、語意の改変、放射能に「安全」の枕詞

■常識の書き換え
・ 「五重の壁。放射能漏れはない」→爆発→「放射能はただちに影響のあるレベルではない」(2011年3月~政府会見?)
・ いつのまにか一般人の被曝限度は20mSv/年


・「混乱は基準値のせい」の論理



■跳ね上がる基準値
・ 児童の被曝量20mSv/年基準(2011年4月19日、文科省)
・ 避難区域再編成後の「避難指示解除準備区域」(年間被曝量20mSv/年(外部被曝のみ?)までは帰還を目指し、インフラ整備を行うという地域)(2011年、政府)


・ 作業員の被曝限度200mSv/年に引き上げ(2011年3月15日、政府)
・ 食品規制値、埋め立て基準、肥料転用基準


d. 二重思考の強要(政府・マスメディア・社会)
■二重思考…互いに矛盾する二つの考えを同時に信奉すること(オーウェル『1984年』「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」)

■「風評を恐れ検査/公表しない」という論理
…「検査して被害実態がある」という事と「検査して被害実態がないのに風評が起こる」という事が並列して信奉されている。

・ 静岡県知事、荒茶の検査拒否(2011年6月)
・ 子供甲状腺被ばく検査の不実施(2012年2月?、国の原子力災害対策本部)

・ 埼玉県の下水汚泥焼却灰、風評を恐れ受け入れ業者を公表せず(埼玉県、2012年3月)

■がれき受け入れの安全性とリスクテイクの必要性を同時にキャンペーン
・ 「47人の知事で少しずつリスクを抱えてはどうか。受け入れを検討いただきたい」(2011年11月21日政府主催の全国知事会議にて、山形県・吉村美栄子知事)



e. .視点の隠蔽(政府・マスメディア)、インディファレンス(社会)
・ 現場労働者の被曝が問題化されない(『3・12の思想』より)

・ 初期ヨウ素被曝(関東もヨウ素服用基準超のプルームが通過)
・ 2011年3~4月の下水汚泥・家庭ゴミ焼却灰の不測定
・ 下水汚泥の再利用(セメント)問題、東京たまエコセメント
・ 放射能降下地域における汚泥/ゴミ焼却
・ 「黒い物質」の報道。α線核種の問題を報じず。
・ 放射能総漏洩量試算における海洋放出量の無視?(未詳)
・ 2011年3月24日に原発構内でベータ線熱傷を受けた作業員3人の消息
・ 福島第二原発のベント
・ 国の線量評価におけるβ線被曝の無視(『原子力都市と海賊』より)
・ 国の線量評価における内部被曝の無視
・ 福島県の健康調査においては食品からの内部被曝を計算上考慮していない。WBCの体内量は1号機爆発の影響のみとして計算している(『プロメテウスの罠』より)

f. 選択肢の設定/選択させる事 による「前提条件」の隠蔽(社会・言論)
・ ベクレル表示の功罪…土壌の保全という、「よりしなければいけない事」が等閑に付される。放射能を食べる事が選択の問題として、個人に引き受けさせられる。
・ 子ども被災者支援法の功罪…国が「移住させる義務」を放棄しているという前提が追究されない。

g. 対抗勢力を非倫理的と断じるプロパガンダ、バッシング(マスメディア・言論)
・ 「買い占めをする人は浅ましい」
・ 「放射能忌避は差別」
・ 「パニックになるな平常通りの活動を」
・ 「避難した人は文系/金持ち」
・ 猪瀬直樹「馬鹿な主婦」
・ 石原伸晃「反原発派はヒステリー」

カテゴリ: 原発事故関連

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» 夢を見る場所 

先日大阪で、香港のDIYライブハウスHidden Agendaを撮った映画
"HIDDEN AGENDA The Movie"を観てきた。

HiddenAgenda Osaka


予告編



大阪上映会の告知
http://fugashi.org/?p=105

自分は松本哉氏のブログでこの映画を知った。
氏によれば、このライブハウスは香港のアンダーグラウンド音楽シーンの最重要拠点だという。

土地代の高い香港では、メジャーなライブハウス以外で、
自分達で勝手に作り上げたような場所で
音楽をやれるところというのは、大変に限られているらしい。
そんな中でこの Hidden Agenda は
何回かの引っ越しの後、工業区域の建物を借りて改装することで
インディーズ・ミュージシャンたちの演奏の場を作ってきていた。

が、工業区域で娯楽行為をすることは法令に反するとの理由で
Hidden Agendaは行政に立ち退きを要求され
警察官が様々の理由をつけてたびたび立ち入る、という事態に遭ってしまう。

本映画は、Hidden Agendaが
自分達の手で場所を作り上げる過程を示しながら
その事態に対する抗議と意志を表明した映画だ。

映画の作製者は Hidden Agenda自身で、
フィルムには
ライブハウスを自分達の手で作り、日々保守・調整する姿、立ち退きをせまる行政に対する抗議デモ、
そして遂に引っ越しを行うことになり、そのカンパを募集するライブ・パーティーを開催するまでの過程が収められている。


上映会のアフタートークでは
クラブ弾圧とそれに対する法改正運動などの話があり興味深かったが、
多分この映画の本質は、

夜ごとの夢を、誰と一緒に、どう見るか、その時間は誰のものなのか

という問いかけだ。
法の事は二次的な事だ。

映画の最後での、行政が再開発計画の一環としてHidden Agendaにアート枠での参加を要請し、
Hidden Agendaはそれを拒否した、
という所について、アフタートークで疑問の声があった。

私はこういった場所作りをしたこともなければ
行政や公権力とこのように組み合ったこともないので
Hidden Agendaや、他の多くの独立運営の場所が、それにどう応答すべきかについて
一般的な答えを持たない。

しかし、考えなければならないのは、
「自分達の手でやりたい音楽と場所を作り上げている人間たちと
法や行政とで、どちらに『実』があるのか」という事だ。

今回クラブ弾圧の話も聞いていて思った事だが、
明らかに法・行政の側には「実」はない。

なぜ工業エリアでライブハウスをやってはいけないのか、
なぜ今の時期に突然、風営法のダンス規制の適用を厳格化する必要があるのか、

誰も答えられない。恐らく行政の人間でさえそうなのだ。

Hidden Agendaの人が、立ち退き請求を提示する当局の人にこう聞く。
「工業エリアでは物を生産しない者は立ち退かなくてはいけないというが
我々は音楽を生産している。それではダメなのか」
「娯楽行為と言うがその定義は何なのか」
明確な答えは返ってこない。

このやりとりにこう思う人もあるかも知れない。
「それは屁理屈だ。法に書かれていることに抵触すると判断された以上、それはしてはいけないのだ」と。
しかし、そもそもを考えて欲しい。
そもそもなぜ、「音楽をしてはいけない場所がある」のか?
なぜ、「それに従わなければならない」のか?
なぜ、「(従わずに)その法律の変更を考える」事が発想されないのか?


風営法のダンス規制については、もっと不可思議だ。
夜、定時刻以降は、店の経営者は客にダンスを踊らせてはいけない。
これは数十年前にできた法律の条文だ。
しかしこの半ば実効性を失っていた条文を根拠に、なぜ今クラブの大量摘発が起こっているのか。
アフタートークで登場した、この問題の当事者である金光正年氏は、
なぜなのか、はっきりとした事は分からない、という旨の発言をされていた。

「踊らせる」という事の意味も状況も全く変わっている現在、
数十年前の条文を守る意義も、
それを根拠にクラブの規制・大量摘発が起こる理由も、
誰も分からない。

法律は意志を持たない。行政は「なぜ」に答えない。
なぜなら法律は規則・文字に過ぎず
行政はその「遂行」を主目的とする装置に過ぎないからだ。

「水槽のポンプ」の設計図じたいに意志はなく
水を濾過するポンプに意志や疑問など無いのと同様のことだ。

それが法であり行政なのだ。


問題は、そんな「実」のないオバケにあなたは付き合うんですか、という話だ。


Hidden Agendaの映画に写し出されるのは
抗議やデモだけではない。
多くのミュージシャンと、夜ごとのライブと、そこに集まる人々の
踊り、騒ぎ、熱狂し、あるいは出会い、あるいは酔い、あるいは語り合い、
あるいは陶然と夢を見る、
その時間。その空気。
そしてその場所を続けていく、日々の営みと意志。

はしゃぎ浮かれ騒ぐことがそんなに大事かと、問うひとには
こう問いたい。
あなたは人と出会った場所・語り合った場所・一緒に夢を見た場所を、
いとしいと思ったことはないのですかと。
騒ぐことは本質ではない。
人と居る歓び、「そこ」にいる楽しさ。
それを全く感じたことがない人はいないはずだ。
これこそが私たちにとっての「実」ではないのか。


映画のエンドロールには、
香港の朝焼けとおもわれる
うすく、日の光を浴びて光るビル群の映像が写し出される。
路上にはまだ、朝が来たことを知らぬ街路灯が瞬いている。

興奮と疲労と満足と、きのうの夢は、朝日の中で溶けていくだろう。
そこにいたる一瞬の時間、その時間の夢を誰かと共有すること。
この時間は誰の物なのか。
それはまったく、奪われがたい、私たちの時間なのである。



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» 雨に濡れても 



去年の原発事故直後、この曲を聴いた。

父がSNS上の知人と連絡を取り合い、その知人が
「今関東には放射能が降り注いでいるのかもしれないけれど、
惰弱(だじゃく)な自分は、この曲を聴きながら、今日も仕事に行こうと思う」
と書いていたのを、たまたま横から読んだのである。

以来、この曲ほど、発災後の日本にいて
両義的に聞こえる曲もない。

"Raindrops are falling on my head
降りしきる雨が僕を濡らす

and just like the guy whose feet are too big for his bed,
小さな寝床で足がはみ出るように

nothing seems to fit
何もかもしっくりしない

those raindrops are falling on my head, they keep falling
頭から僕を濡らす雨はまだ降り続いている"


放射能禍は続いている。
原子炉が壊れ、核燃料と核分裂生成物は外界に放たれた。
いまそれらを覆い、人界から隔離するものは何もない。
降り注いだ放射能(放射性物質)は、広域に遍在/偏在し
ガイガーカウンターを持つ事は当たり前になった。
それは目に見えない形でひとびとの生活と精神を脅かし続けている。

そして「それ」はまさに雨と風と水の流れによって運ばれ、濃縮されてきたのである。

デモプラカード "I hate rain"

この一連の事実は、一定数の人々を打ちのめしてしまっている。

私自身、ジェロニモレーベルのこのフレーズを何度聞き返したか知れない。

もう、俺らは心の底から笑えない
放射能ばらまいた国で

底の抜けてしまったこの国 放射能海に山にだだ漏れ

もう忘れたい 全部なかったことにしたい

ジェロニモレーベル 「ナメられてるにもほどがある」


昨年の9月11日に、漫画家のこうの史代氏は
岩波書店の「3.11を心に刻んで」という企画に、ひどく示唆的な文章を寄せた。


だんだん暗くなってゆくけれど、怖くはないからね、安心してまっすぐ歩いて行くんだよ。
やがてお花畑にきたら、そこでお休み。みんな一緒になかよく遊ぶんだよ……
(草野榮應『やさしい言葉』沙羅の集)

 これはある和尚さんの言葉です。彼は、幼い息子を病気で失わねばなりませんでした。その息子の臨終の時、こう言い聞かせたのでした。
 この世に居る人は、誰も死んだ事がありません。だから、死への旅路が暗いかどうかも、抜けたところにお花畑があるかどうかも、誰も知りません。しかし、父がそう信じているという事を、息子は知ったでしょう。そして同じ世界を心に抱いて、別れたのでしょう。
 わたし達は、どんな世界を想像する事も信じる事も自由です。また、それを誰かと共有する事も自由です。そして、誰かと共有する時、それは、ひとりで勝手に忘れ去ってもいい幻ではなくなるのです。
 逆に、わたし達は現実にあった何かを語らない事も自由です。
 この言葉の何より尊いところは、穏やかであるところだと思います。子を不安にさせぬよう、父は近づく別れに涙を落としたりわなないたりすまいとした筈です。それはこの文章にも、どこにも表現されていません。それでも、その秘めた愛と強さに心を打たれるのです。

岩波書店編集部 「3.11を心に刻んで」


「夕凪の街 桜の国」で原爆投下10年後、40数年後の広島被爆者の命とその家族のありようを描き
「この世界の片隅に」で戦時中の(しかし私達と変わらぬ)暮らしを、寄り添うようにして描ききったこうの史代氏の、静謐かつ凄絶な文章である。

絶望はときに静かで安らかな風貌をもっている。

"Raindrops keep falling on my head
降りしきる雨が僕を濡らす

But that doesn't mean my eyes will soon be turnin' red
でもそれで泣きはらしたりはしない

Crying's not for me
泣いたって何にもならないし

'Cause I'm never gonna stop the rain by complaining
こぼしたって雨は止まないから

Because I'm free
僕は自由だし

Nothing's worryin' me
不安なことは何もない"


こうの氏の文章を読んで、ふとある考えが浮かんできた。
―震災後この国を覆う気分が「私達を静かに死なせてくれ」というものであったとしたら?

―放射能汚染について、見て見ぬふりが起こること
―隠蔽が起こること
―「風評被害が」と言う一方で食品検査が行われないという矛盾が起こること
―放射性物質の封じ込めが発想されず、むしろ拡散が奨励されること
―騒動・デモが死者への冒涜であるようにみなされ「不謹慎」の烙印を押されること

震災後、まるで狂気だと思い反発してきた
これらのことがらが、狂気でもなんでもなく
正気の人々が意識下で、切実に、緩慢で穏やかな死を願っていることの現われだとしたら?

それは純然たる悲しみであり、
親が死に行く子に言い聞かせる物語のように、
絶望の末、程なくおとずれる死の前にしばしの安寧を求める、おかすべからざる願いなのかもしれない。

震災・原発事故以降、我々の目の前には原発と放射能という壁が露わになり
多くの人々が、今もこれに立ち向かっている。
しかしこの「絶望の穏やかな風貌」に抗するすべを、我々は未だに知らないのではないか?

それは、あるとすれば
安寧な静けさとそれへの切望を、踏みにじるものでなければならない。
あらゆる生き汚さをしめすものでなければならない。

私は、山下陽光氏の一連の広島調査の「アトム書房」探訪は
その可能性を探る試みなのではないかと、勝手に思っている。






原爆投下後1年が経つか経たないかのうちに、
廃墟となった産業奨励館(現・原爆ドーム)前に出現した「アトム書房」。
店主はスギモトユタカ24歳。
資料は(日々発見があるものの当初は)数片の写真、外国の手記・新聞記事などを残すのみ。
古書店ないし土産物屋を営んでいたらしいこと、
広島を地獄と化した「原子力」の語を店名に冠するセンス、
爆心地に店を速攻で出してしまうテンションの高さ
以外はいっさいが謎に包まれている。

山下氏は、アトム書房と戦前の広島アートシーンの中心人物・山路商(山下氏いわく「戦前の広島の素人の乱」)との間につながりを見出そうとしているらしい。





キーワードはおそらく「ゲスさ」と「繋がり」だ。
生き汚くあること、追い込まれた状況に「ふざけんな」と言い続ける事、
そして時間と空間に隔てられ消し去られようとしている多くの「あなた」を発見すること。

山下氏と調査を続けるだだお氏のツイート。

調査は現在進行形で進んでおり、
山下氏のトーク、ツイッター(山下氏だだお氏) 、関連資料サイトで随時最新の情報が発信されている。
ネットでは書けない情報もあるとの事なので、本丸は氏のトークということになりそうだ。
2012/6/23のワタリウム美術館でのトークイベントについての、山下氏のツイート

スギモトユタカという忘れられた親友をたずね歩く姿に、
私達はいつしか聞き手という役を忘れ、猿楽町を、産業奨励館前をさまよい歩き、
それぞれのエピソードによって爆心地と人々の思い出を復元していくことになるだろう。


さて結局「雨に濡れても」をあなたはどちらと感じただろうか。

"Because I'm free
僕は自由だし

Nothing's worryin' me
不安なことは何もない"


"It won't be long 'till happiness steps up to greet me
もうすぐ幸せが僕に会いに来るはず"


安らかな諦めがもたらす明朗さか、「コノヤロー」を言い続ける生き汚さか。
いずれにしても、雨は降り続ける。

カテゴリ: 原発事故関連

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» 【速報】さようなら原発10万人集会 

本日東京で行われた「さようなら原発10万人集会」のようすを伝えるツイート・写真・動画をまとめました。




空撮


さようなら原発10万人集会 空撮チャンネル 3/3(録画日時 : 2012/07/16 14:43)


さようなら原発10万人集会 空撮チャンネル 2/3(録画日時 : 2012/07/16 14:37)


さようなら原発10万人集会 空撮チャンネル 1/3(録画日時 : 2012/07/16 14:32)







報道

20120716 報道ステーション



20120716 FNNニュース



中継・ステージ・現地写真




















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カテゴリ: 原発事故関連

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